車上生活者が小屋暮らし、Bライフを目指すブログ

車上生活も3年目。車上生活から小屋暮らしを目指します。

目隠し、シェード(前席両側窓)を600円自作。 エブリイ、車中泊アイテムDIY

本格的な冬も目の前のこの時期。車中泊には厳しい寒さがやってくる。

車のサンシェードは目隠しや車内温度の維持には欠かせません。現在エブリイでは布のカーテンで凌いできましたが、当然ガラスからの冷気を遮断できません。

 

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サンシェードを購入しようとネットで探している時に「これくらいなら自分で自作できるのでは?」
と思った方も多いのではないでしょうか?既製品はお高いので自作してみました。
車のサンシェードは自作可能です。
出来映えはその人次第で、器用な人は売っている車のサンシェードと同様くらいの完成度までいけます。

しかし、やり方は?材料は?、、、、
という人も多いと思います。今回は車のサンシェードを自作する際の材料や作成方法まで紹介していきたいと思います。

 

材料は車のサンシェードを自作する時は断熱できるアルミマットや発泡スチロール板を利用します。

今回僕は発泡スチロール板を選択しました。ホームセンタで購入できます。厚みは20ミリにしてみました。

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理由は

①値段が安い。フロント両面で600円位。

②程よい透過光を期待できる。

③断熱性が高い。

以上の点からです。

アルミマットは透過光性は低いので,、日中に遮光したい方はこちらが良いと思います。

僕は朝起きるときに適度に外の明るさを取り入れたいので発泡スチロール板にしました。

 

さて、ここからいよいよ実際に車のサンシェードを自作する手順を紹介していきたいと思います。

まず、窓の型や大きさを把握するため、型を取るという作業からスタートです。
簡単でおすすめなのが、新聞を繋ぎ合わせる手法です。
大体、新聞紙をを2枚つなげればガラスを蔽うことができるはずです。今回は新聞が手元になかったので、広告紙を使用しました。

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型を取る用紙の準備が整ったところで、実際に窓にあてがってテープ固定して慎重に型を取っていきます。窓枠に沿って線引きします。
型をとる時は、一回り大きめ型とりをするようにします。

 

型取りして、カットした新聞紙を発泡スチロール板に当てがってテープ固定。型取りから移されたとおりにカットしていきます。
カッターの刃は新品で。

この作業は自作したサンシェードがどのような見た目に直結する作業なので、重要です。慎重に!

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型取りして発泡スチロール板をカットすると、サンシェードはほとんど完成してると言っても過言ではないです。

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少し隙間ができてしまいました、、、、、

実際に使用する車に装着し、はめ込みながら余った部分はキレイにカットして修正していきます。

最後に発泡スチロール板の縁を透明PPテープで補強します。

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完成です!

修正していくと隙間も気にならない程度になりました。

自作サンシェードがしっかり窓枠に張りハマって固定されています。ドアを開閉しても落下しません。

アルミマットで製作した場合は厚みがないので落下してしまう可能性があります。

製作時間はフロント2枚で約1時間でした。制作費用は約600円ほどです。

 

発泡スチロール板の耐久性、特に紫外線への耐久性が懸念されます。時間経過でぼろぼろと崩れないでしょうか、、、、

何か変化があったら報告したいと思います。

 

 

車中泊、車上生活の始まり、僕らの終焉。②

顔を覆う不快なと湿度と暑さを含んだ濃密な空気で目を覚ました。

デジタル置時計を見ると午前10時過ぎ。11月だというのに、太陽に照らされた車は車内気温は30度、湿度79%に達していた。

「何が家だ」

苦々しい思いで上半身を起こし、僕は不快な空気を入れ替えるために後部両サイドの窓を少し開けて、換気扇のスイッチを入れた。外から涼しい空気が流れ込む。

軽ワゴンの車内で自由に使える空間は狭い。辛うじて脚を伸ばして横になれる長さと、正座して座れる高さの空間だけだ。「家」というよりも「棺桶」を連想させた。
実際に横になっていると僕は生きる意味のない、死体になった気になる事がよくあった。

思考、心臓、命と停止してしまえ。

そんな妄想にしばしば支配された。

 

やはり所詮は車である。家の快適さとは比較にならない。それでも雨風を防ぎ、最低限のプライベートな空間を確保できるのはありがたかった。

昨日の夜は車を叩く落葉や雨音が五月蠅かった。警察が職務質問の際、窓ガラスをノックする不快な音を連想させた。
駐車場に長時間停車していると、時に管理者のチェックや警察からの職務質問がある。そんな不安からか、なかなか眠れなかった。
車上生活は音に敏感となる。
周りが静かであれば近くを通る車や人の気配が一層気になり、街中であれば騒音が気になる。
落ち着かない。車上生活では完全に心の休まるには難しい環境だ。こんな車上生活も3年目となっていた。

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車上生活開始する1年前。その頃から僕らの仲は「ギクシャク」としていた。

僕らは似た者同士で、人付き合いが苦手で友達も少なかった。僕は自営業を営んでいたので社会との繋がりも希薄だった。

僕らはお互い以外に何も持ち合わせてはいなかったように思う。それなのに上手くいってはいなかった。

「環境が変わればきっと上手くいくいくだろう」

そんな安易な僕の考えから、それまで生活をしていた借家を引き払い、家財道具の一切を処分して車上生活の旅を開始した。旅をして彼女を笑わせたかった。諦めたくなかったのだ。2016年の夏の事だった。

関東を出発をして新潟から海沿いを北上、北海道一周。更に東北から九州まで各地を巡った。仕事と観光、生活を兼ねたそんな旅だった。

狭い車で車中泊をしてると、「世界は僕ら二人だけ」に感じられるような孤独感、疎外感があった。

「一緒に見て感じて思いを共有できる」

そんな旅を思い描いたいた。確かにそんな時もあったが、進むにつれて見ているもの、感じてる事の違いが大きくなっていったように思われた。

そんな車上生活が1年も過ぎる頃には些細な事で言い争いするようになった。車上生活は逃げ場がない。距離が必要な時もどうしようもなかった。不穏な空気がグツグツと煮詰まっていった。

なんとか彼女に笑ってほしかった。しかし笑顔は少なくなり僕は自身を「悲しい道化師」のように思えた。

短気だったり、言いたい事を言えなかったり、何かを彼女のせいにしたりと僕は嫌な自分を自覚していった。自覚はあるが改善はできなかった。そんな自分が嫌になってノイローゼ気味となった。ドス黒いため息が肺からこみ上げてきて僕の気持ちを一層暗くした。

 

僕は残酷となった。

このままでは僕は崩壊して自分ではなくなる。一刻も早く、この状況から脱したかったのだ。

別れは僕から言い出した。短い話し合いで僕らは離婚することとした。

それからたった2週間でそれまでの5年間の結婚生活を清算した。

結果彼女はこれからの生き方を模索する事もできないまま追い出したのだ。なんと残酷な話ではないか。そんな自分勝手な「負の一面」を再確認してさらに落ち込んだ。

「僕ら」はこうして終焉した。2017年、冬の事だった。

 

そうして僕は孤独となった。

しばらくは何もできなかった。ふとした事で彼女の事ばかり思いだして悲しくなった。そして泣いた。

僕には彼女しかいなかった。それでも別れを選択した自分を呪った。しかしその時の選択肢はそれしか見えなかったのだ。自分の選択はとんでもない失敗であったと思えるのだった。

そんな気持ちの弱った僕はインフルエンザに罹った。独り寂しく死ぬ自分を想像すると哀れで怖かった。楽になりたい一心で死んでしまえと願った。だが徐々に回復していった。

この車には思い出が詰まり過ぎている。それでも車上生活を辞めることはなかった。

独りになって、当ても予定もなく、ただブラブラと気分に身をゆだねて車で彷徨うと気持ちが静かに落ち着いてくるのが感じられたのも確かなのであった。

 

はたしてあの「捨てたサニーの呪い」が現在もつづいているのであろうか。やはりこの「家」からは逃げることはできない。僕に「帰る場所」はない。車上生活者なのだから。

 

 

 

車中泊、車上生活者の住所、住民票問題

自由、気ままな車上生活。全国どこでも「日本」が僕の住所なのだ!!

そう言いたいが法律がそれを許してくれない。

確かに車上生活で日々を過ごすことは可能だ。しかし現段階では、車自体を「居住地」つまり住所にすることは、日本の法律上で認められていない。
では、特定の居住地を持たない車上生活者が住所を使用する場合にはどうすればいいのか。

① 親戚や実家、親しい友人などの住んでいる場所を住所として使用。
② 格安の賃貸を住所として使用。

現実的にはこれしか方法がない。僕の場合は①の実家を住所とさせてもらっている。

車上生活でも各種書類などの諸手続きのために、法律上の居住地は必要となる。例えば車検や免許の更新時、健康保険や年金など行政が関わる手続がそれだ。

また、車上生活で正式な住む場所がないと、郵便物が受け取れないなどの問題もある。
その際は、親戚や家族の居住地を使用するか、郵便局留にすれば受け取りが可能だ。宅配便、ネットショッピングなどの場合は、各運送会社のセンター受け取りやコンビニ配送を利用るすることができる。

 

車上生活は「モーターホーム」として世界でも利用されている。
しかしそれで暮らしをするのは、日本ではまだ正式に認められていない。
現実は「住所不定」と判断されるので、書類手続きなどの際には実家など仮の住所を記入しか方法がない。
車上生活を知らない方達にとっては未知の世界なので、理解に欠けるかもしれない。
しかし、そもそも建築物としての家だけが本当に「家」と呼べるのだろうか。車やテントでも小屋でもそこで「生活」していれば「家」だと思う。
食べていけるだけの金があり、それなりの暮らしもできて、かつ法律違反や周りへの迷惑をかけなければ、どこに住もうとそれは自由のはずだ。
海外のアメリカなどでは、周りがどう見るかより、自分がどう生きたいかの自己主張と個を大切にしていると思う。なので、違う生き方を否定すること少ないように思える。
これから車上生活や小屋暮らしなど、多様で新しい生き方を模索できるよう、より過ごしやすい環境や法の整備を期待したい。

車中泊、車上生活者の仕事、収入

自由で気ままな車上生活、、、、

気持ち的にはともかく、金銭的にはそんな余裕はない。

小屋暮らしBライフ、または社会復帰!?(アパートを借りて就職)するための貯金には手をつけるわけにはいかない。働き、稼ぎながら車上生活をするのがは絶対条件だ。

 

車上生活以前から中古商品をネット販売をして生計を立てていた。いわゆる「転売」である。もう10年以上これで食べてきた。苦労の割に収入は少ない仕事だと感じていた。しかし会社という組織の中で、嫌な人の言うことを聞かなければならないストレスに比べたらそんな事は些細な事である。

商品仕入れは主に一般個人、リサイクルショップなどから買い取り、販売はamazonマーケットプレイスにてネット販売をしていた。

車上生活ではスペース的な問題から商品管理、配送を全て自分で行うことは不可能だ。そこで利用しているのが「フルフィルメント by Amazon (FBA)」である。

「FBA」とは商品の保管から注文処理、配送、返品対応までをAmazonが代行するサービスだ。これにより自らで商品管理、配送することから解放された。(それなりの手数料はかかるが、、、)

FBAのサービスが開始された当初より「旅をしながら仕事をできる可能性」を模索して妄想をしていた。

あとは仕入れが一番の問題となった。

一般個人からの買い取りは車上生活では不可能だ。全国のリサイクルショップや量販店からの仕入れがメインとなった。車上生活と言うより、もはや「全国津々浦々リサイクルショップ、量販店を巡る旅」となった。まぁ、それを狙ってはいたのだけれども。

 

仕入れ、収入は車上生活前と比べるとかなり減ってしまった。カツカツである。

車上生活では家賃をはじめ、生活にかかる出費が少ないので、どうにか現状維持といった有様だ。

なんとか少しでも貯金を増やしたい。貯金額は将来に対する安心感だ。

 

このブログを見るような方でしたら「どのような商品」を「どこで」仕入れるか気になるところであろうかと思う。

そこは大事な飯のタネであるので申し訳ないが秘密とさせていただく。ただし当初はネットから「転売」で検索し得た情報から僕は学んだ。もちろん有料の情報などは利用したことはない。本当に有益な事は全て自分の時間と足を使って学んだ経験に因るところが大きいと思います。

有益な情報は検索し、得た物の中の100分の1くらいなものだ。ほんの僅かな「上澄み」を嗅ぎ分ける臭覚が必要とされる。

 

曲がりなりにもこの世界で食べてきた僕の感想では、ネットでよく見かける「誰でも簡単、副業で〇〇万!」だとか「年収〇億」といった情報は殆どが「ガセ」情報だろうと思う。そうした事を謳う人たちが売る「有料情報」は買ってはいけない。

 

僕はいつも不思議でならない。売れるほど「有益」な情報なら、売らずに自分だけで独占すればいい。そのノウハウで自分だけ稼げばいいのだ。情報を売る必要などないはずだ。

では何故情報を売るのか。それはその人にとって「有益ではない」もしくは「過去には有益であった」情報に過ぎないからではないだろうか。

これは僕がこう思うだけであり、有料情報にも買う価値がある物もあるのかもしれない。しかしこうした情報を買う人が大勢いるのが僕は不思議でならないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車中泊、車上生活の始まり、僕らの終焉。①

思えば幼い頃から「狭い場所」というより「自分だけの完結された空間」に執着があったように思える。家族3人で住んでいた実家である狭いアパートでは独りになるのは難しいからかもしれない。

 

聞くところによれば、幼年期の僕は狭い部屋の中で、さらに狭いダンボール製の小屋を作り「ぼくのいえだ!」と宣言したそうだ。あきれたのだろう。母親は僕が留守のあいだに「ぼくのいえ」を撤去した。それを知った僕は大泣きをした記憶がある。

 

小学校高学年にはドラえもんのように「押入れ」を自分の部屋とした。電気スタンドとラジカセを持ち込むと立派な部屋になった気がした。

上段で寝ていた僕は夜中に転がり落ちた。頭を床に強打して少量出血し、大きなコブを作ったのであった。

 

それでも懲りる事はなかった。

 

21歳の夏、初めて買った車は30万円のセダン「日産サニー」だった。

 

レンタカー落ちで走行距離は5万キロ。どこか色あせた、くすんだ白い色をしていた。

営業車だったらしくパワステ、クーラー程度の最低限の装備しかなく、シート地はビニール。ボディーには「株式会社○○○○」と社名があり、流石にそのままでは恥ずかしいので引き取り前に塗装して消してもらうことにした。

 

そんな自慢できるような車ではなかったが僕は嬉しかった。

それまで幾度も思い描き計画していた事「車中泊」ができるからだ。早速、車を車中泊仕様にするべく意気揚々と作業に取り掛かった。

後部シートを外すとトランクルームと一体の空間ができた。助手席を倒し、そこにベニヤ板を乗せて寝床を作った。トランクルームに足を入れて寝ると脚を伸ばせる十分な長さが確保できた。窓ガラスには型取りした段ボールをはめ込み、目隠しとした。

こうしてできたプライベートな空間を手に入れた僕は満足し、ニヤニヤとしていた。当時の僕は「家」を手に入れた気でいたのだ。しかもどこへでも移動できる素晴らしい家だ。

何の根拠もないが「家」を手に入れたことにより、この先わくわくする冒険と出会いがあると確信していたのである。くすんだ白い色のボディーは汚れやすく、コンパウンドでせっせと磨きながら旅の妄想をふくらませた。

それから会社の休みがあると車に寝袋と食料を積み込み車中泊旅行をした。だが、思い描いてた冒険や出会いはそこになかった。

金は無いが時間だけはあるので知らない海や山をグルグルと巡ったでけであり、誰かいても小心な僕から話しかける事は滅多にはなかった。自身が何か変わることもなく、独り淋しい車中泊旅行で、わけもわからない孤独感の不安にため息を深く吐き出した。

それでもいつかは嫌な仕事と、人間関係から解放されてずっと車中泊旅行ができればいいなと妄想していた。自由な空気と開放感は確かに感じられたからだ。

 

そのころ、車中泊とは関係ないところで初めての彼女ができた。僕はこの「家」で初めてキスをした。

 

数年後、10万キロを走行した「家」はクーラーが突然故障した。初夏ではあったがクーラーがなくては暑くてどうしようもない。修理の見積もりをすると20万円弱であり、車検も近い。金もない。

相当悩んだ末、車を手放す事とした。寂しかった。

車としての価値はなく、鉄くずとして無料で業者に引き取られる事となった。無意味とは分かっていたが、引き渡す前に最後に洗車をし、いつものようにコンパウンドでボディーを磨いた。この頃には磨きすぎたせいか、増々くすんだ白い色になり、よく見ると、うっすらとボディーには株式会社○○○○と社名が浮き出ている気がした。嫌な予感がした。

 

その直後、彼女も僕のもとから去っていった。「変わらないあなたが嫌になった」それが理由であった。

 

彼女を失うという初めての経験をした僕はますます孤独となり精神的に病んでいた。半ば自暴自棄となり仕事も辞めてしまう。

それからわずかな貯金と失業保険を食いつぶしながらアパートに引きこもった。彼女との思いでがいっぱいのこのアパートで独り暮らすのは寂しかった。そんな最中、財布を落とした。「捨てたサニーの呪い」を確信したのであった。

「捨てたサニーの呪い」から逃れるためにはアパートを引き払い、新たに車を手に入れて車中泊の旅に出なければならないと考えるようになった。

 

あれからさらに中古車、現在の軽貨物のエブリイと車を乗り換えた。そうして僕は今も車中泊、車上生活ををしている。

 

車上生活1年目は妻と一緒であった。そして今は独りになった。「捨てたサニーの呪い」が現在もつづいているのであろうか。いや、俺の性分のせいなのだろう。

 

もはやこの「家」からは逃げることはできない。僕に「帰る場所」はない。車上生活者なのだから。