車上生活者が小屋暮らし、Bライフを目指すブログ

車上生活も3年目。車上生活から小屋暮らしを目指します。

車中泊、車上生活の始まり、僕らの終焉。②

顔を覆う不快なと湿度と暑さを含んだ濃密な空気で目を覚ました。

デジタル置時計を見ると午前10時過ぎ。11月だというのに、太陽に照らされた車は車内気温は30度、湿度79%に達していた。

「何が家だ」

苦々しい思いで上半身を起こし、僕は不快な空気を入れ替えるために後部両サイドの窓を少し開けて、換気扇のスイッチを入れた。外から涼しい空気が流れ込む。

軽ワゴンの車内で自由に使える空間は狭い。辛うじて脚を伸ばして横になれる長さと、正座して座れる高さの空間だけだ。「家」というよりも「棺桶」を連想させた。
実際に横になっていると僕は生きる意味のない、死体になった気になる事がよくあった。

思考、心臓、命と停止してしまえ。

そんな妄想にしばしば支配された。

 

やはり所詮は車である。家の快適さとは比較にならない。それでも雨風を防ぎ、最低限のプライベートな空間を確保できるのはありがたかった。

昨日の夜は車を叩く落葉や雨音が五月蠅かった。警察が職務質問の際、窓ガラスをノックする不快な音を連想させた。
駐車場に長時間停車していると、時に管理者のチェックや警察からの職務質問がある。そんな不安からか、なかなか眠れなかった。
車上生活は音に敏感となる。
周りが静かであれば近くを通る車や人の気配が一層気になり、街中であれば騒音が気になる。
落ち着かない。車上生活では完全に心の休まるには難しい環境だ。こんな車上生活も3年目となっていた。

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車上生活開始する1年前。その頃から僕らの仲は「ギクシャク」としていた。

僕らは似た者同士で、人付き合いが苦手で友達も少なかった。僕は自営業を営んでいたので社会との繋がりも希薄だった。

僕らはお互い以外に何も持ち合わせてはいなかったように思う。それなのに上手くいってはいなかった。

「環境が変わればきっと上手くいくいくだろう」

そんな安易な僕の考えから、それまで生活をしていた借家を引き払い、家財道具の一切を処分して車上生活の旅を開始した。旅をして彼女を笑わせたかった。諦めたくなかったのだ。2016年の夏の事だった。

関東を出発をして新潟から海沿いを北上、北海道一周。更に東北から九州まで各地を巡った。仕事と観光、生活を兼ねたそんな旅だった。

狭い車で車中泊をしてると、「世界は僕ら二人だけ」に感じられるような孤独感、疎外感があった。

「一緒に見て感じて思いを共有できる」

そんな旅を思い描いたいた。確かにそんな時もあったが、進むにつれて見ているもの、感じてる事の違いが大きくなっていったように思われた。

そんな車上生活が1年も過ぎる頃には些細な事で言い争いするようになった。車上生活は逃げ場がない。距離が必要な時もどうしようもなかった。不穏な空気がグツグツと煮詰まっていった。

なんとか彼女に笑ってほしかった。しかし笑顔は少なくなり僕は自身を「悲しい道化師」のように思えた。

短気だったり、言いたい事を言えなかったり、何かを彼女のせいにしたりと僕は嫌な自分を自覚していった。自覚はあるが改善はできなかった。そんな自分が嫌になってノイローゼ気味となった。ドス黒いため息が肺からこみ上げてきて僕の気持ちを一層暗くした。

 

僕は残酷となった。

このままでは僕は崩壊して自分ではなくなる。一刻も早く、この状況から脱したかったのだ。

別れは僕から言い出した。短い話し合いで僕らは離婚することとした。

それからたった2週間でそれまでの5年間の結婚生活を清算した。

結果彼女はこれからの生き方を模索する事もできないまま追い出したのだ。なんと残酷な話ではないか。そんな自分勝手な「負の一面」を再確認してさらに落ち込んだ。

「僕ら」はこうして終焉した。2017年、冬の事だった。

 

そうして僕は孤独となった。

しばらくは何もできなかった。ふとした事で彼女の事ばかり思いだして悲しくなった。そして泣いた。

僕には彼女しかいなかった。それでも別れを選択した自分を呪った。しかしその時の選択肢はそれしか見えなかったのだ。自分の選択はとんでもない失敗であったと思えるのだった。

そんな気持ちの弱った僕はインフルエンザに罹った。独り寂しく死ぬ自分を想像すると哀れで怖かった。楽になりたい一心で死んでしまえと願った。だが徐々に回復していった。

この車には思い出が詰まり過ぎている。それでも車上生活を辞めることはなかった。

独りになって、当ても予定もなく、ただブラブラと気分に身をゆだねて車で彷徨うと気持ちが静かに落ち着いてくるのが感じられたのも確かなのであった。

 

はたしてあの「捨てたサニーの呪い」が現在もつづいているのであろうか。やはりこの「家」からは逃げることはできない。僕に「帰る場所」はない。車上生活者なのだから。